あたりまえに感謝…

 

 

6月も最後になり、あっという間に1年も半分が過ぎてしまいました。

 

6月と言えば梅雨、紫陽花、蛍、田植え、カエルやおたまじゃくしにかたつむり。

いろいろ連想するものは、水のある自然の風景の中に多いように思います。

今年の梅雨は、前半は雨が少なくて農家の皆さんも苦労されているという話をよく聞きました。

雨は降りすぎると大災害をもたらし、少なすぎると水不足でたちまち私たちの暮らしのリズムが壊されてしまいます。

あらためて、普通に水道から水が出てくること、お風呂に入れること、食事が出来ること、それから水をたたえた川の美しさや山の緑の鮮やかさに触れられることに感謝します。

あたりまえの事があたりまえでなくなった時、その大切さに気づくことができる。

そんなことに雨をとおして思いを巡らすことができるのが、この季節のよいところです。

 

最近、成人した子どもたちと小さい頃のことを話していた際、まるで突然の雨に打たれた時のようにはっとする…ということがありました。

 

小さい頃から背が高かった長女は、いつも列の一番後ろで、何をするにも年齢よりちょっと上のレベルを求められるというのが、あたりまえになっていたそうです。

私も長女については、お世話好きでしっかりしているという印象を持っていたので、よく弟たちの面倒を見てもらっていました。

 

 

ところが、当時の長女の本音は、そんな周りの思いからかけ離れていたのです。

スイミング教室では幼稚園生にもかかわらず、背が高いという理由で小学校低学年生コ−スで泳ぐことに。

次は妹が生まれてくると確信して待っていたのに弟が生まれ、とてもショックを受けたり。

いくら注意しても言うことを聞いてくれないやんちゃな弟たちと喧嘩になると、お姉ちゃんだからという理由で我慢をさせられたり。

時には兄弟で植えたアサガオの芽が、自分の分だけ出てこなくて、心配したり。

「しっかり者」として信頼されていた一方、小さな胸を痛めることも、とても多かったようです。

 

当時、私も余裕がなくて長女のそんな苦労も感じ取れず、長女が弟たちの面倒をみてくれるのがあたりまえのようになっていました。

身体は大きいけれど心は小さくて、その小さな心で一生懸命闘ってくれていたのだなと思うと、

もう少し味方になってあげないといけなかったかなという反省と、

頑張ってきてくれてありがとうという感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

日々の中で、現状に対してもう少しこうだったらいいのにと不満を持つことも多いものです。

一方で、平和で、物も豊か、便利な生活があたりまえになっている今、そこには、昔、長女がそうしてくれていたように、多くの人の努力や助け、忍耐があることにあらためて気づき、あたりまえのことがあたりまえにできる事に感謝しないといけないなと思いました。