うつ病が治らない

 

 

という訴えが、患者さんからよくあります。

治療を初めて1ヶ月以内であれば、「それはフツウですよ」と答えています。

なぜなら、うつ病は「治す」病気ではなく、「治るのを待つ」病気だからです。

 

「治るのを待つ」とは、どういうことでしょうか。

「運行本数が非常に少ない田舎のバス停で、時刻表もないのにバスを待つ」ことに例えてみます。

バスに乗るためには、バス停でバスがやって来るのをじっと待っていなければなりません。

しびれを切らして、バスが来る方向にバス停を離れて迎えに行き、運悪く途中でバスが来たら、バスに乗れないことになってしまいます。

確実にバスに乗るためには、バス停でじっとしていることが、最も確実な方法です。

うつ病も、このバスのように、何月何日何時何分に治るかがわからないもので、その場にとどまって待つことが治療法の基本です。

 

治るのを待っている間に大切なことは、何もしないで休養をとることです。

うつ病の一番の薬は休養といっても過言ではありません。

以前のブログでうつ病は電池が残り少なくなっている状態と説明しましたが、この不足分を充電しなければなりません。

 

山の中に迷い込んで、自分の携帯電話の電池の残量が少なくなっているとき、どうしたらよいかを患者さんに尋ねることがあります。もちろん充電するコンセントもない状況です。

正解は携帯電話の「スイッチを切る」です。

そして自分が必要になった時にだけ、スイッチを入れて連絡を試みることです。

うつ病の患者さんにとってスイッチを切るということは、身体をできるだけ動かさないことです。

言い換えると、とにかく横になってゴロゴロしておくことです。

うつ病の状態が悪い時は、眠ることすら難しいものですが、ただ横になっておくだけで十分に充電ができます。

うつ病の状態がよくなってくると、自然と眠れるようになります。

この時、「眠れればうつ病が治る」のではなく、「うつ病が快方に向かえば眠れるようになる」のである点を、勘違いせず認識しておくことが重要です。

 

上記を試みてまだうつ病が治らない場合、患者さんにアルコールを摂っていないかを尋ねます。

よく患者さんから聞くのが、「眠れないからお酒を飲んでいる」という答えです。

アルコールを摂取すると眠れるように感じている方もいるのですが、睡眠の質は悪いものとなってしまいます。

また、アルコールによって一時的に気分がよくなり、「なんだか明日は仕事に行けそうだ」と思えたのに、翌日にはさらに落ち込んでしまったという話もしょっちゅう聞きます。

 

一時的な高揚感など、アルコールにはすぐに反応があるため、待ち続ける状態に焦りを感じる患者さんにとって魅力的な飲料です。

しかしながら、うつ病治療の大原則である「待つ」姿勢に全く反していますので、アルコール摂取は自らうつ病を治りにくくしているだけであるという点を、患者さんには繰り返しお伝えしています。

 

「何もしないで横になる」、「アルコールを摂取していない」の2点がすべてクリアされているのに快方に向かわない場合は、抗うつ薬の量を調べます。

量が十分であれば、次には抗うつ薬の種類を調べます。

現在使われている抗うつ薬と作用機序と違う種類の抗うつ薬を使うか検討します。

これでも治らないときは、もう一度診断をしなおすのが、うつ病が治らないときの流れです。

 

医師は、どんなうつ病の患者さんとも、じっくり向き合っていきます。

「周りに迷惑をかけているのではないか」、「早く仕事(学校)に復帰しなきゃ」といった患者さんの焦る気持ちをしっかり受け止めながら、「じっくり待つ」ことに寄り添っていきますので、うつ病は必ず治ると信じて、向き合ってほしいと願っています。

 

 


「投影」にみる小さなヒント

 

 

舌鋒鋭い政治家がいた。

語気荒く、凄まじい勢いで相手を口撃する様は圧巻だった。
ある日、自身の身から出たサビが原因で、あっけなく失脚した。

「あの饒舌ぶりはどこにいったのだ?」と驚くほどに、さっぱり自身の弁明ができていなかった。

そのような政治家が、少なくとも2人、記憶に新しい。

 

同僚が不倫をしているという噂を聞きつけて、目を吊り上げて非難する男性がいた。

他人の恋愛ごと、ましてや不倫なんて全く興味がない私からすると、他人事にあそこまで憤慨するなんて、大変厳格な人なんだなと感心するほどだった。

ある日、その男性がパートナー以外の女性と特別に親密な様子で歩いている場面に遭遇して、とても驚いた。

 

特定の部下をターゲットに定めて、執拗に攻撃する上司を見てきた。

あるいは、ターゲットとされている患者さんから相談を受けることも少なくない。

ターゲットにされているのは、高い確率で反抗しないタイプの人だ。

また、そうした上司らにはほぼ共通して、大人しく、絶対に言い返すことができなかった部下としての過去がある。

 

相手の中に自分の弱点、欠点を見出すことを、心理学的に投影と言います。

自分の弱点(欠点)を誰よりもわかっているのは自分ですので、その批判も的確、時に執拗になります。

剣道が得意な友人から、「面が得意」と言われている対戦相手に、面を打ってみると意外とよく決まるということを教えてもらいました。

自分の弱点を攻撃することは、最も効果があることとも言えます。

 

 

 

先の3つの例について、すべて投影だとは言いすぎかもしれませんが、「投影かもしれない」と考えると、少し見え方が変わってこないでしょうか。

特に、患者さんから相談の多い「意地の悪い上司」については、投影の観点からも一緒に考えるようにしています。

部下の改善を目指す指導としてなのか、攻撃している本人の弱点を部下に見出しているのか。

後者であれば、「胸を張って、明日も仕事に行っていいのです」とお伝えしています。

 

私自身の投影として例をあげれば、子どもの叱り方です。

子どもを叱るその理由は、純粋にその子の悪いところを直したいという思いにあるのか、自身の中の悪いところを子どもに見ているからなのか。

後者だと気付いたら、「自分もなんとかここまで生きてきたんだし」と、ある程度は許容するように意識してきました。

 

自分が誰かに投影されていないか、あるいは自分を他人に投影していないか。

誰かと向き合う際に、投影について少し考える余地を持っておくことは、決して邪魔にならないヒントになると考えています。


ほろ苦テイスト、春の思い出

 

 

桜の季節になると、もう40年以上前の気持ちがよみがえってきます。

別れの季節を経て新しい出会い、新しい日々の幕開け…と、少なからず世間は前向きな空気に包まれますが、私の中に今もくっきり残るのは苦い春。

大学受験の失敗によって、浪人生活が幕開けした季節でした。

そして、それは2回訪れました(笑)

 

「お父さん、よく医者になれたねえ」

当時の話をすると我が子に感心されてしまうくらい、私は勉強ができませんでした。

特に英語が苦手で、当時流行っていたBeatlesの“across the universe”という曲のタイトルをみて、「ふむふむ、大学を横切って、か。これはきっとキャンパスライフの歌だな!俺にぴったりだ!」と思っていたほど。

 

そんな奴がどうして医師を志したのかは、過去のブログ「ふりかえって」をご参照いただくとして、浪人が決まった当初、とにかく勉強するという習慣が、私には全く身についておりませんでした。

当然、予備校に通っても周囲についていけず、浪人1年目はいわゆる宅浪を選択。

「人間は18時間以上、勉強できないようにできている。あと少し勉強したいなあという気持ちを残して、1日を終われ。」

この叔父の言葉を信じ、私がとった行動は130分勉強することから始めて、15分ずつ勉強時間を増やしていくという方法で、数学と英語を高校1年から復習する、ツッコミどころ満載の浪人生活が始まりました。

 

最初の内は、130分以外の時間を持て余し、毎日川釣りに出かけました。

暇つぶしのためでしたが、内心ビクビク。

「いい年齢の男が昼間から釣りばかりして、職務質問されてしまうんじゃないか」

宅浪となると、自分が何者であるかを証明する術はなく、それがこんなにも不便で居心地が悪いとは!と、痛感しておりました。

 

そうこうしている内に高校時代の担任教諭から連絡が入り、「在校生と一緒に実力試験を受けに来い」とのこと。

「えー!」と思いつつ、他にすることもないので、学生服をひっぱりだして試験を受け、張り出される順位に大恥をかき…の日々を送りました。

 

秋になって、ようやく勉強時間が16時間に到達しました!

高校3年分の数学と英語(ただしリーダーのみ)の教科書がようやく終わろうとしていましたが、社会、理科、国語もしなければなりません。

とても間に合わないのはわかっていましたが、それぞれの科目にわからないところを残したまま、テクニックだけかいつまむのも嫌で、これまでどおり自分のスタイルを貫くことを選択し、案の定、浪人1年目の受験も失敗に終わりました。

 

件の叔父から、「数学の点数が全然足りていない!」と、一番手応えがあった教科なのに厳しく指摘され、悔しくて情けなくて、布団の中でやっぱり“across the universe”を聴きました。

その中の歌詞、nothing gonna change my world を呪文のようにつぶやきながら…。

 

 

晴れて2浪が確定した春、私は実家のある大村市を出て、長崎市内の叔父宅の近くに下宿させてもらいながら、宅浪を続けることにしました。

環境を変えて再出発といえば格好がつきますが、1浪目にずっと家にいたので、祖母と母しか異性に会わず、あまりにわびしいと思っていたのが本音です。

当時の私にとって長崎市内は大都会で、「なんて綺麗な人がいっぱいいるんだろう!」と、浪人中にも関わらず、心踊る日々でした。

(※ただし接点は無く、遠くから眺めるだけで満足でした。)

 

この頃には自分のスタイルも確立され、1教科50分勉強してはタバコをふかして10分休憩を6回繰り返し、土曜日の1時間だけ英作文を習いに出かけるようになりました。

迎えた2浪目の受験、いつもどおり解けたという手応えはあったものの、数学の模範解答をみると全然ちがう解答が…。

もうやけになって、10日後の合否発表まで毎日パチンコをして時間をつぶしました。

 

当時の合格発表は、出身校と氏名が一斉に張り出されるものでした。

その日、人だかりの一番後ろで(いつでも逃げ出せるようにして)見守っていた私の目に、自分の名前が飛び込んできました。

その時の気持ちは、嬉しいでもほっとしたでもなく、掲示板に張り出されている自分の名前に、ものすごい懐かしさがこみ上げてきた、という不思議なものでした。

 

反省も教訓も何もないブログになりそうですが、ほろ苦い思い出を記してみました。

この春、晴れて浪人生になった方がいましたら、僭越ながらエールを送りたいと思います。

きっと大丈夫、ロン毛に下駄の私でも、職務質問はされませんでした!


| 1/8PAGES | >>